今日も、サッカースクールでの一コマを紹介したいと思います。
ある日の低学年クラスでのこと。
トレーニングの終わりに行う試合の最後で、1本勝負のPK対決をやることにしましたが、誰が蹴るのか決まりません。
どうしても自分で蹴りたいAくん、しかし周りからはBくんが蹴ったほうがいい!との声があります。
子どもだけの話し合いでは解決しなかったので、僕が通訳に入りました。
どうしても蹴りたいAくんに
「今自分の中に何が在る?」
と聞くと
「(自分が)蹴りたい気持ちと、(Bくんに)蹴らせてあげたい気持ちがある。」と教えてくれました。
僕は「おー!そっかー!!」と思い、Aくんの思いを理解することができ、それをその場にいたみんなに伝えました。
この2つの気持ちが、自分の中でぶつかり、どうしていいかわからなくなっていたAくん。
それをトレーニングをしていたみんなに聞くと
「あるある!!でもそういうときどうしたらいいの??」
とほとんどの子が同じ場面のときに、
「どうしたらいいか」という問いを持っていたのです。
時間が来てしまったのでそこでトレーニングは終わりました。
最後に子どもたちに僕から1つ
問いを投げてみました。
「自分の中に矛盾する二人の自分が出てくることはこれからもよくあるよ、そこで大事なのが自分が
<どうありたいか> なんだ。
正解を探すんじゃなくて、自分が何を大事にしたいかちょっと考えてみて。」
ここで多数決などで決めてしまったり、正しいのはこうだよ、と決めてしまうのかんたんですが、それでは、自分の心の中がどうなっているのか確かめてみたり、自分の頭で考えて決めることができなくなります。
つまり、ある意味では、子どもに対して過保護な状態です。
正しさ、正解を教えるのではなく、問いを投げる。
そのことで子どもが自分で自分の内側を確かめ、考え、行動する力になるのです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(山梨県北杜市/長野県茅野市で行っているサッカースクールです)
コメントを残す