サッカーを離れて

サドベリースクールとの出会い、八ヶ岳へ。


そんなとき友人の紹介で『サドベリースクール』に出会う。サドベリースクールというのはかんたんにいうと『自由と責任、話し合いの学校』だ。

子どもの頃から自分の好きなことを好きなようにやっていい。自分は、何が好きで何が嫌いか?どんなことに興味を持てるか?といった自分を知ることができ、そのかわり自分の人生に対する責任も自分で取る。

何事も話し合いで解決するのでコミュニケーション能力がとてもつく。僕はコミュニケーション能力というのは生きていく上でとても大切な能力のうちの一つだと思う。ある意味これさえあれば生きていける。

それは、算数、国語ができなくても。人の心をつかむことが出来れば、生きていけると肌で感じて来たからだ。

サドベリースクールをいろいろと調べていくと、まさに自分がやってきたことだし、これからもやっていきたいことだと思い、八ヶ岳にサドベリースクールがあるのをFacebookで知り、一度見に行ってみることにした。

八ヶ岳サドベリースクール
このころは、家にいてどこにも行きたくない、何もしたくないと思っていたのに、なぜだか、八ヶ岳にあるサドベリースクールへは行きたいと体が動いた。

そこにはいろいろな職種の専門家が集まっていた。お金の専門家、医者、住職、サドベリースクールの専門家、みんな自分にオリジナルな何かを持っていたし、人間力や暖かさに惹かれた。

八ヶ岳サドベリースクールにて八ヶ岳サドベリースクールもちょうどスタッフを捜していたこともあり、高いハードルをくぐり抜け、僕を採用してくれた。

サドベリーでは今までの教育の概念が覆らされることが多かった。

一日中ゲーム、スタッフからは何も与えてはダメ、基本は手伝うだけ。何を決めるのも話し合い。そしてなにより子どもと大人を対等に扱うことに初め一番びっくりした。そこにいれば子供を対等に扱うのがあたりまえで、むしろそれがふつうになっていった。

そしてそんな中で育った子供は自由に自分の意見を言うし、自分の考えもはっきり持つようになると気づいた。そのおかげで自分自身もコミュニケーションや人間関係を楽しめるようになっていった。

サドベリーMTGミーティングを何度もへて、自由にコミュニケーションがとれるようになっていくと、いままで人間関係で止まっていたものが動き始め、いろいろなことがスムーズにできるようになっていき、自分の伝えたいことをきちんと伝えられるようになった。

僕の高校時代や大学時代を知っている友人は今の自分を見たら驚くかもしれない、人前で自分をさらけ出すのは怖くて、絶対に出来なかったタイプだったからだ。

そしてサドベリーのスタッフをやりつつ、本田健さんのセミナーに参加した。少しずつ感情の扉が開いたのか、自分のことを思い出した。最初は何をみても感じなかったというのに!

そのたびにサッカーのことを思い出した。

その頃は、サッカーをやっている友人の活躍を見聞きし、ニュースやFacebookでサッカーが目に入ると感情が揺れた。おちついていられず、どこかで嫉妬していた。でもそれを感じないように一生懸命していた。

もうサッカーを絶対にしたくないが、サッカーを見たりすると感情が揺れる、それがいやでサッカーが目に入らないようにしていた。ボールにも決して触らなかった。

でも自分が本当にやりたいことや、自分ってどんな人間だろうと考えるといつもサッカーに戻った。自分のすべきことは、サッカーに関わる何かかもしれないとも思ったが、いままで自分で築き上げてきたサッカーの道を否定した。


ほんとうの感情との出会い。


すると自分がどっちに進んでいいかまったくわからなかった。なにか行動を起こそうとすると、その先にある失敗や苦しみ、ストレスが怖くなって行動できなくなる日々だった。いままでこっちが進行方向だと思っていた方向がなくなってしまった感じだ。

そんな訳の分からなくなっている自分を助けてくれた人がいた。

栃木SCのときに出会った監督を思い出した。

僕のサッカー観を変えてくれた監督のことを。出会いは人を変える!と

八ヶ岳で出会った人は僕に自分を思い出すということをしてくれた。

自分はどんな人間なのか?

何が好きで、何が嫌いなのか?

なぜサッカーをやっていたのか?

サッカーに何を見ていたのか?

などなど何も感じていなかったところを思い出させてくれた。

そしていろいろなところに連れて行ってくれ、いろんな人に会わせてくれた。

それにより自分ってものが少しずつ見えてきた。

サッカーから逃げてる??ってなんだ??

きれいにサッカーは辞めたと思っていたし、そう言っていた。

だが、その人との会話でサッカーから逃げている自分に、ある日気づいた。

きれいに辞めたと言っていたのに、もしかしたら逃げているのだと、受け入れた瞬間に涙が出た。あんなに感情を感じなかったのに?!

あまりにも好きなサッカーで自分が選手としてダメだ!というのを受け入れられず、何度もダメかもしれないという合図が来ていても、見ない振りをしていた。

その結果、きれいに辞めたと言い、もうサッカーはしたくないというほんとうの感情を隠し、大好きなサッカーなのに見るのもするのも嫌になっていた。

プレイヤーとして現実を受け入れるよりはその現実から逃げることを選んだと、はっきりと自覚した。

それでもなお、どうしようもなくサッカーに感情が動くことがわかったし、大好きなことだった。その人から神様から何でも叶えてもらえるとしたらどうしたい?と聞かれたとき「一流のサッカー選手になる」と答えていた。

でもサッカーはやりたくない。もうあんな苦しい思いはできない。

じゃあ。俺はなにをしたいんだ??

ズーーッと考える日々が続いた。


情熱を取り戻す


そんなもやもやした日々の中、2012年の夏休みに母校である高校の合宿に行った。高校生は一緒にいるだけで元気が湧いてくるし、あのハツラツとした姿が好きだった。

高校生がプレーしているのを見ると一人一人の感情がどんな感じなのかが、いつのまにかわかるようになっていることに驚いた。

今までとまったく違う視点でサッカーを見ることが出来るようになっている自分に気づいた。

自分がプレイヤーとしてやっているとき、メンタルの弱さを痛感していたのもあり、もう少し自信を持ってやればいいプレーできるのになぁ〜とかあの選手は回りにもっと気をつかったらいいのに、とそれぞれの状態が手に取るようにわかるようになっていた。

いままでとは、まったく別の角度から見ていることに気づき、サッカーの楽しさを思い出し始めた。

高校サッカー彼らの練習につき合いながら、高校生とのコミュニケーションを取るうち、サッカーに対する情熱が戻ってきているのを感じていた。

しかしそれと同時に、もっともしたいことが、ほんとうはプレイヤーだと思い出した。だがそこに戻るのはあまりにも難しい。そこに戻るためには、苦しい所を何カ所も通らなくちゃ行けないイメージがすぐに浮かんできたからだ。それにどこを目指すのかもはっきりしない。

それなのに、苦しむ勇気も気力もないように思えた。

そのころは、物事を決める基準が苦しまない、ストレスがないこと、を基準に全て成り立っていた。それは、10年近くサッカーは苦しみとがんばりとがつねに一緒だったからだ。

いままで何度かサッカー辞めちゃうの?とか、サッカーまたやりなよ、とか言われても、即答でもうやる気はないと言っていたが、ある日それを言われて戸惑った自分がいた。

高校サッカー今までは心がサッカーしたい、またボール蹴りたいと思っても、それを考えるとどれだけ苦しまなきゃいけないのかが同時に浮かび、そこまでがんばっても、どこを目指したらいいのか先がイメージできなかったからだ。

でもその日は、少しだけ先がイメージできた。

サッカーと自分の関わり方が、少し違った角度から見られるようになったからだ。本田健さんのロングセミナーにでて感情のことについて学び、新たな友人に出会い体の使い方のことを学び、サッカーから離れ、今までと違う視点がもてるようになっていたことも大きかった。

ことあるごとに自分がしてきた過ちにも気づいていたし、いまならそれをやらないで済むこともわかった。また1人でなんでもやってきたが、心から応援してくれる仲間がいたらまた違うやり方ができることも見えた。その可能性にかけてみたくなった。

高校サッカーそれでも悩んでいた。ほんとうにできるのか、どうか、と。

僕の好きなサッカー監督の言葉だ。

『サッカーしか知らない人間はサッカーすらしらない、サッカーをサッカー以外から学ぼう』

まさに僕はサッカーしか知らなかった、狭い世界にいた。

ほどなくして本田健さんの合宿セミナーに参加する機会があり、がんばってきた自立の男性が、もうできない、もうがんばれないとパートナーに伝え、助けてもらう場面があった。その場面が終わって感情のふたが少しあいたとき、仲間から「いさおも、トップを目指して,誰にも負けないようがんばってきたんだよね。誰にも負けたくなかったんだよね」と言ってくれた。

それは、本当だった。誰にも負けないために、サッカー選手としてトップに立つために、ずっと、すべてやれることをやってきた。そしてどんなにがんばっても、もうダメだと思ってサッカーを辞めたということを。

自分の絶望を心でもはっきり思い出し、自分の感情に向き合い、今までにないほど泣いた。それを仲間に受け止めてもらった。

しばらくするとサッカーへの情熱がまた戻って来た。

怖いけれど、やらずに後悔するより、もう一度やってみよう。

チャレンジしてみようと静かに決めた。

高校サッカー